2005年03月03日

自主的サービス残業の是非

この業界では作業にかけた時間、工数というものでコストを計算するのはご存知の通りです。

その計算は大抵は自己申告制で、個人にとってはほぼ「残業代請求(申請)」です。

そしておそらくは誰もがやったことがあるであろう、「今日はパフォーマンス悪かったから時間分満額請求しにくいなぁ」という自主的サービス残業。

自主的サービス残業は、制度の不完全さを補う正しい行為と言えます。
そもそも我々の賃金は勤務時間の長短によって決めるべきではなく、成果の多寡で決められるべきです。ところが個人の成果の多寡を客観的に測定することができないので、会社は観測可能な時間という単位で賃金を計算します。また労働基準法上も、時間外勤務があれば相応の賃金を支払うことを義務付けています。
この歪みを正す行為なので、正しい行為と言えます。

私もよくやっていましたし、今でもたまにやります。

でも最近、必ずしもそれが正しいとは言えないかな、とも思うようになりました。
それは「適切な工数内で、適切なパフォーマンスを上げる努力」から逃げることに繋がるのではないか、との思いからです。逃げるというとセンセーショナルかも知れませんが「残業代申請しないからパフォーマンス落ちてもいいや/見積もり外の作業をしてもいいや」という甘えを生むきっかけはなると思います。

例えば私、前の会社で隣の課の新人が休日出勤しているのにつきあって、土曜日を潰したことがあります。本来面倒を見るべき先輩が何の指導もなく放置した結果の休日出勤だったので、あまりにも可愛そうだったからです。
その技術分野は私もまったく知らないものだったので、22:00までかかって「どうも作業前提のプログラムがおかしい」ところまで突き止め、日曜出勤を阻止したところで帰りました。
もちろん、工数はつけていません。

でも、一人のプロとして考えた時、私がすべきだったのは新人と一緒に泥をかぶることではなく、指導の不備の指摘と、適切な仕事と人のアサインをその課のマネージャに求め、正しい、あるべき姿にすることだったと思います。
(その新人のメンタル面を考えると、まったく無駄ではなかっただろうと思いたいですが)


念のため作業や、質を上げるための作業をサービス残業でやるというのもおかしな話です。
必要十分なレベルに持っていくのにどれくらいかかるかを最初に見積もったはずで、その範囲で工数が割り当てられ、スケジュールを組んでいるはずです。念のため、がないと不安だとかいうのは見積もりがおかしい品質を測る基準が曖昧になっているはずです。

パフォーマンスが充分でなかったから、というのもまずパフォーマンスを上げるための対策を行うべきです。一時間分の付加価値を生めなかったから一時間分の賃金をカットする。創出価値に関してはそのトレードで構いません。でも一時間を無駄にする方法はいくらでもあるけど、失った一時間を取り戻す方法はありません。常に不足する貴重な資源である時間に対して、単純なトレードを済ませれば何の問題もないのでしょうか。


もちろん、雇用主に対して誠実な残業申請が基本です。(見合う働きができなかったなら請求すべきではありません)
ですが、自主的サービス残業の裏には、プロフェッショナリズムに対する不誠実さも見え隠れしてしまうのです。

錯綜する思考の足跡」より「残業代いらないって思える日」のトラックバックでした。
posted by 市井賢児 at 2005年03月03日 03:23
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